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松永 伍作(1853-1908)

ページ番号:627-055-421

最終更新日:2017年3月24日

養蚕の研究に一生をささげた

 嘉永6年(1853)大野町に生まれた松永伍作は、はじめ福井藩に仕えていましたが、その後、江戸に出て、明治維新という大変革の時代を体験します。明治政府は近代国家建設のため、先進国の経済の仕組みや技術、設備などを取り入れる中で、特に農業を盛んにする政策を実施しました。明治7年(1874)、伍作は上京し、穀物や野菜の試作、農具の試験や展示、養蚕および製糸試験などを行う内藤新宿試験場で養蚕を学びはじめました。
 伍作は蚕の伝染病について研究を続け、「蚕病試験場」や「蚕業試験場」が開設されるとその指導者となり、検査員の養成にも尽力しました。その後、日本の輸出品の中で繭・生糸・絹織物の割合が高くなると養蚕業が急速に発展し、明治29年(1896)には、養業試験場が「蚕業講習場」へと改編され、伍作は試験部長となります。当時の養蚕業は関東・東北地方が中心で、関西地方では盛んではなかったため、伍作は日本の今後の養蚕業の発展のためには関西における蚕業講習場の設置が何より必要と考え、その設立に奔走しました。
 明治32年(1899)、「京都蚕業講習場」が設立されると、伍作は初代所長に就任し、養蚕業を学びたいという女子のために「女子蚕業講習場」も設立しています。その後も、各地の蚕業講習会に出かけ養蚕業の拡大と品質向上を目指して指導を続けましたが、明治41年(1908)4月1日、56歳の若さで病死しました。
 京都府上京区馬喰町にある北野天満宮の北門前には、伍作の功績を讃える石碑が建っています。高さ約4m、幅約2mの大きな石碑で、伍作が亡くなった3年後の明治44年に友人や教えを受けた養蚕関係者が建立したものです。その碑文には、伍作は養蚕の指導者・教育者として極めて立派であり、その教えを受けた者は3千人以上である、と刻まれています。

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